おつかれた

おつかれた
とりあえずおれおつかれ。仕事疲れた。
土日なんておれには無かったです。
でも、幼女やショタの笑顔がたくさん見れたから幸せです。
自分的には最高の仕事でした。

最後に自転車小屋の上に上がったショタのボールを取ってやった。
上司の命令に違反しつつw
サボるなといわれたおw

小さいころはよく木登りをしていたので、高いところは平気ですw

それとは別なんだが、人から厳しいご指摘をいただくとあんがい謙虚に
原因を考えてしまいます。
変わっている人なので人に恨みを抱くことはほとんどありません。
でも言われると凹むよね。ね、ね。
まあ、いつも自問自答して自己解決するんだけど。
今日、言った本人が謝りにきた。どんだけひどいこと言われたんだと言う。
まあ、おれが抜けてるのが悪いんだがw

身体的に欠陥があるのを自覚しつつ、生きるのは辛いことだわ。
だけど、人の言うとおりにやるのはなんか負けた気がするんだ。

まあ、経験則で自分の直感には大確信を得ているので
人のいうことは鵜呑みにすることは絶対しない。
たとえどんなことがあろうとも。

人生一度きり。好き勝手に生きてます。
まあ、クビにはならないようにちゃんとリスクヘッジはしとるとです。

思うに、法律(規律?きまり?道徳?)を守るのと、
みんな守ってるきまりだから守るのと、この世にはどうやら2種類の
人間がいるだと思う。

まあ、世の中いろんなきまりがあって、そのきまりがあい矛盾する
状況なんて腐るほどある。でも、そういうときにあっても
自分の中の何かが確信をもって叫ぶ。

「GO!」と。だからこんなヘボい人間でも大きな失敗はしないで
すんでるのだと思う。

先ほどの2種類の人間の後者の人間はたぶん非常時には何でもしてしまう人間です。
だから、そういう人間とは基本的に心が打ち解けることはありません。
どんなに外見を取り繕っても、非常時に獣に豹変するような人間と
分かっていたら誰だって付き合いたいとは思わないでしょう。
自分にはどちらの人間に当たるのか分かってしまいます。

何がいいたいのか。社会に育てられ、社会そのままである
人間を私は嫌悪します。外見なんか関係ないです。むしろ
世間的には不器用な人間ほど前者の人間は多いと思う。

単なる自己正当化かもしれない。不器用な自分の。

しかし、自分の中に何かを持った人間
(それが、歴史的な人物のような英雄的な人間であれ、
極悪非道な人間であれ、自分みたいな無力な人間であれ。)
は、どんな人間であれ、その人は人間です。
もう一方の人間は、人間の皮をかぶった獣です。

もともと自分と呼べる人間なんてこの人たちにはありはしないんだから。
世の中には、それぞれのロール(役割)がある。
かのシェイクスピアは、人生は演劇のようだといいました。
劇を踊っている人間と、踊らされている人間とは根本的に違うのです。

この2者を分けるものは、書き方の違いはあれいろんな宗教にも記載されています。
例えば、ヨハネの黙示録にはこうあります。

>地に住む者で、ほふられた子羊の命の書に、その名を記されていない者はみな、この獣を拝むであろう。
>耳ある者は聞くがよい。
>囚われの身となるはずの者がいるなら、その者は囚われの身となる。剣で殺す者がいるなら、その者は剣で殺されなければならない。ここに、聖なる者たちの忍耐と信仰とがあるのだ。

このあとに有名な獣の数字666の記述があります。
この獣の数字は人間を表すものです。
この数字の意味が分かったらあなたは確かにわたし側の人間です。
(分からなくても、ただ分からないロールを演じている場合もありますが。
その場合は、いつか時がくれば分かるときがくるでしょう…)

人間の魂。あなたはもっていますか?

いつもはもうちょっと比喩的な表現でぼかして書くのですが、
今日は特別です。

最後に誤解されると悪いのでいいますが、自分はキリスト教の信者ではないです。ただのオカルト狂なだけですのでw

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