ほおずきとクリ

ほおずきとクリ
ほおずきってすごいね。自然の造形美だね。
透けて見える中の珠も水に入れとけばしわしわにならないらしいです。

台風が来ますね。通勤通学の方はみなさん気をつけてください。
インフルA型が流行ってますね。無理は禁物。自分の体調は
自分しか管理できません。

自己管理とは言いますが、世の中には自分のこと意外にも管理しつつ、
管理されることが多々あります。それが社会というものと一般的に思われてます。

そういうなかで、世の中で自分を主張するのはとても難しいことですね。
特に日本では特に滅私奉公が尊ばれます。
自分を主張し、自分を大切にすることを第一におきながら、
コミュニケーションをする方法として、「アサーティブ」というものがあると
最近知りました。

詳しくはネットで調べてもらうとして、まあ、自分としては当たり前のこと
だと思うことばかりでした。かいつまむと、壁を取り払って自分を伝えろ、
また逆に相手のことを聞いて部分的にでも賛同しろ、ということです。
(間違っていたらすみません。)

まあ、私的な見解を言うと、自分が無いからこういうものが「技法」
になってしまうんでしょうね。
「自分が第一」。当たり前のことだけど、複雑なこの社会で
実際に行うのは、難しいことなのかもしれません。

まあ、数日前にも言いいましたが、社会に育てられ社会そのものとなった、
見せ掛けだけの空虚な人間が世の中には多いのかもしれませんね。

私はそんなのは人間とは呼べないと思います。
せっかく人間に生まれたんだから、もうちょっとあがいてもがいて
反発して、時には笑って、そうして経験に学ぶべきだと思います。

こういう所謂「技法」を使って「うまく」生きてもそんなの
は人間と呼べるのでしょうか。私には人間としての権利を放棄している
としか思えません。
昔からですが幼少のころから私にはこのような「プライド?」があり、
これを守ることを第一の原則としてきました。

誰にもこういうプライドがもともとあるものなのか、
それとももともとあるが生きる過程で意図的に放棄するものなのかは分かりません。

ただ、このプライドが一般的に言われる社会的な体裁を守るためだけの
プライドとは違うことは明白だろうと思います。
生きるために土下座する、または反対に自分(正義)を貫くために死ぬことも
あるのですから。

すなわち重要なのは形ではありません。
この「アサーティブ」にしてもただの形に囚われるならば、
単なる身勝手な「自己主張」に終わることでしょう。

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