黄色いバラ

黄色いバラ
バラシリーズ3枚目です。

最近、仕事で修羅場になりそうでハラハラドキドキです。
というのはウソで、内心はワクワクドキドキしてます。

多少は、殺伐としてないとおもしろくないよね<仕事

人生も同じで多少の困難は楽しむくらいの気持ちでいけば
運も回ってくるものです。
と、オカルトに目覚めて運が急によくなったので言ってみる。

ま、そうはいいつつも、人生で辛いと思えることはやはり人生の上で
何度かあります。ただし、それらの具体的な事実をどうとるかは
それぞれの人の自由です。

世間の法則をぶっ飛ばすくらいに自分がぶっ飛ぶには、
右の頬を打たれたら左の頬を差し出すくらいにならなければなりません。
しかし、そんなことが終始徹底ができれば、後年の人から聖者と称されてします。

世間で社会人を演じ続けるには、実際の感情とアクションを分けて考えねばなりません。
場合によっては、実際にはまったく怒っていないのに怒ったふりをする必要
も出てきます。そうやってみてよいことばかりとは限りません。
その人のことを大事に思っているのに反対に恨まれることもありうることです。

こうやって書くと自分で言うのはなんですが、まさしく賢者です。
ただし、実際は生まれ持った資質と能力はいかんともしがたいものです。
傍からみても大した人間には映りませんでご心配なく。
(また、オカルト的手法を使って自分の能力を高めることにも興味はありません。)

本当に大事なことは新しい認識のうちに自ずと見えてくるものであり、
そうして、そのものを初めから自分が望んでいたことに確信を得ることができます。
ただし、その確信も淡いものであり世間一般に言うエビデンスとはなりません。

ここに信仰の問題が生じます。

目隠しをされ、すぐそばで強く大きな声で前を進めといわれても、崖がすぐそばにあることが
論理的に分かっている状況で、躊躇無く前に進むことは並大抵のことではありません。
(その大きな声は別に権威のある何者でもなく、自分自身の声です。
ソクラテスがダイモンと呼び、キリストが主と呼んだ声も同じものです。)
そうして、無事に難関を越えることが出来ても誰もほめてくれることはないのです。

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