続・映画アバターと謎の雪中酒のビン

続・映画アバターと謎の雪中酒のビン
綺麗に除雪された雪の壁になぜか酒のビンが… 前に泊まりにいった宿泊施設の駐車場にて。

以下、映画アバターで考えたこと。

映画では、科学者グループと企業と軍人のグループに分かれており、科学者グループが結果として善い方、企業軍人グループが悪い方に描かれていたが実際はどうなんだろう。

科学者グループは現地人に文字と言葉を教えて、意思疎通を図ったが、そのせいで後の世には文明を与えた方の国家に侵略したという事実が刻まれるだろう。教化されて独立を勝ち取った国家は、永遠と侵略された歴史を教科書に載せ子ども達に語るだろう。いわば両グループは一連托生。そもそもの接触がすでに後の破壊と混乱の芽をはらんでいたというのが事実だろう。そもそも、この星にアクセスした目的は資源収奪が目的であったのであろうから。

現実には、遠く何万光年離れた星に光速に近いスピードで移動する場合、船内で数年の時が経っていても、母星では数万年近い時が流れる。そのため、母星と連絡は不可能だし、帰ってくるころには、文化や下手をすると遺伝子レベルで別種になっている可能性もある。

アニメのマクロスみたいに船団を組んでそれこそ民族ごと移動するならわかるが、遠く離れた星の資源を収奪して母星に送るなんて考えは基本的にはナンセンスだ。

それに、民族ごと移動するということがあった場合、その理由は自分の星が住むに適さないとなったなど、どうしようも無い理由があるときである。そういう船団が長い航海の後、住める星を見つけ、その星に未開人が住んでいたらどうなるだろう。うまく共存できるだろうか。

主人公は、自分の足が悪く、ミッションが成功すれば母星に帰れば、自分の足
を治してもらえると思っていた。企業・軍人グループだって母星に帰って奪った資源で荒稼ぎしようと思っていた。

これらの理由は、収奪の理由となるだろうが、上にあるように母星に帰るということが不可能もしくは意味をなさない場合、自分の降り立った星はどこか遠くのよその星ではなくホームグラウンドである。その星に生きる人、生物、植物はいわば自分のもの自分を培うものであり、結局は自分にそのもの、そのためにこそ共存すべき者達である。

そうでなければ、その星の生き物をまったくに破壊をして、運んできた自分の星の植物、生物を住まわせるべきだろう。はるか古代のノアの箱舟のように。

一度、破壊された親交は元には戻らない。全てを根絶やしにするまでは。映画のセリフにもあったが、「一度、血で塗れた手は元には戻らない。」のだ。
侵略された記憶、侵略した記憶はどちらかの民族が滅びるまで永遠と語り継がれるだろう。あるいは美化されつつ。

ここ日の本の国でもかつてあった、サルタヒコとアメノウズメの甘いひと時も民族と民族の接点がもたらした仮初の安息の時。そうだからこそ尊いのであり、世代を超えて人の深層に残り続けるのかもしれない。

ロミオとジュリエットなど似たような物語は多い。人類に共通する悲劇である。果たして、異星人の間に恋は生まれるのだろうか。映画のようなシステム、または生まれ変わりのシステムがあれば可能かもしれない。そしてそれを司る何かがこの宇宙には存在する。あなたの魂の記憶の片隅にも、遥か昔のあの美しい星で過ごした瞬間が眠っているのかもしれない。そしてときおり夢で見る不思議な風景は遥か昔の記憶の残滓なのかもしれません。

以上、少し柄にもなくロマンティックに心躍ってみました。多少、コケ気味ですが。失敬そして謝々

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