原発と大地震と慢心と無責任

今日の新聞から

東電の原発がある新潟の柏崎で、原発周辺の活断層が
東日本大震災のように連動して大地震につながる可能性どれだけあるかを、
東電が評価したらしい。
その結果、約3万年から200万年に1度と予測したらしい。

まず、なぜ原発の再開を望んでいる東電自身が評価するのかが意味が分からない。

これは、まあいいだろう。
一番許せないのが、これだけ可能性が低いから安全だといいたいのかだ。
原発を動かしても良いのか。

高レベル放射性物質の最終処分場での保管期間は10万年と言われる。
原発の事故が起こるとどうなるのか。
これだけの間、数々の偶発的出来事から守るために、
地層処分しないといけない高レベル放射性物質が、全て短期間で外部に漏れてしまうのだ。

一番腹が立ったこと。
それは、10万年スパンで考えないといけない、原発の安全性保全の話を、
東電がさもうん十万年レベルに1度しか大地震は起きないから、安全だと
言いたげだったからだ。

原発の歴史はたかが、50年程度だろう。万年単位からは
大洋の一滴に等しいだろう。それにもまして、東電の責任者の在籍年数は、
この一滴にも満たない。どこぞの首相の任期なぞ、それよりも短い一刹那の瞬間だ。

東日本大震災という、未曾有の大災害を受け、日本人は、それまで
培った安全神話からこの恐るべき核汚染を生んだ。
10万年経たないと消えないはずの高レベル放射性物質は、いまだ誰も大して
気にすることもなく周辺に存在している。

日本人は何を反省したのか。この大事故から一年と経っていないのに
まだ気付かないのか。本当に腹が立つ。
自分が神の立場なら、もう一発でかいのをおみまいしてやろうと考えるだろう。

あまり知られていない真実を言おう。

責任という言葉ほど都合の良い言葉はないのだ。そこになんら安全を担保できるものなど
露ほども存在しないということを知るときだ。そこには、官僚制(社会機能と社会集団)
の否定が帰結する。だからだれもそれを言うことができない。
思いつくことすらできない。社会集団とその意思が人間として固有に持つべき自由意志
を駆逐し、今の人間の大部分が、何も自らで考えることのできない木偶人形になっている。
これは、霊的レベルのかなりの上位次元までそうなのである。

さらに隠された秘密を言おう。
この人間の次元こそその自由意志を知り、神を超える道なのだ。

あなたのハートはこれを聞いて震えただろうか。
真実にふれると、人の奥深くに存在する存在のコアが振動する。
それこそが秘密であり、存在のルーツである。変らない「自分」である。

これが無い人間もおそらく存在する。
聖書にある14万4千人。これがたとえ比喩だとしても限定されたものである
ということを伝えている。

「自由 平等 博愛」これこそ666(667)の悪魔の数字。
欺瞞である。一見、人間性の否定に見える言葉の裏に真実がある。
そしてその逆も然りなのだ。

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