仕事はじまた

仕事はじまた
4日から仕事でした。新年会にあわせて仕事もバタバタしてました。まあ、更新が滞っている言い訳にはならんけど(。・_・。)毎日、ちょくちょくアクセスもらうんで悪いと思います。サーセン。まあ、それくらいのぐだぐだがこういうブログにはあってしかるべきだとは思いますが。。(テンテンと。)ぶっちゃけこれだけ雪が降ると写真のネタには困るよね。しょうじき。。(またまたテンテンと。)

来季のアニメがぼちぼち始まってきましたね。個人的に「デュラララ!!」というのがなんとなくおもしろいそうだなと思っています。今季は「戦う司書」がそこそこおもしろかったなあ。途中まで多少はグダグダだったけど。やはり前季には勝てんね。

ちなみにお正月はほとんど外出しませんでした。オカルト系な変わったこともなくひたすら前に紹介した「オブリビオン」にはまってました。なんかすごいことになってるので報告しようかな… 別の機会に。。ちなみに3回も顔を変えてしまった。衣装もたくさん揃えたお(莫)

あと、映画の「アバター」っておもしろそうですね!見れたら感想書きます。オカルト的に。
グダグダと進めて参りましたが、今年もがんばっていくぞー。(o*・ω・)ノ

明けましておめでとうございますmm

明けましておめでとうございますmm
新年ですね。明日は仕事場の巡回当番なんでゆっくりもしてもらんないです。下っ端は辛いです。画像は、義理のひいばあさんの家にいるネコです。うつろな目で舌出してるのがすごくかわいい…かなりお年をめされたネコちゃんなんですが、なんでネコっておばあちゃんでもかわいいんだろうね。というわけで特に感慨もなく新年を迎えました。明日、初詣行こうって言ったらダメだといわれた。少し凹みました。w
2010年はどんな年になるんでしょうね。不況で先が見えない世の中ですが、個人レベルでやれることを淡々とこなすだけだと私は思います。少しエゴイストでしょうかね。人任せにできることはどんどん人に任せるべきだと思います。
また、未来に展望を持つことは個人の能力いかんでどうにも差が出過ぎるし、その結果が合っているともいえない。そのような中でも一つ一つの出来事に真摯に取り組むことは誰でもできると思います。一つ一つの行為にまじめであれば、神様も見ているし、悪いことにはならないものです。
但し、何が自分にとってまじめかどうかは人それぞれです。いわゆる自分を殺すことをまじめととる人もいるでしょうが、私はもっと自分に優しくあるべきだと思います。何もかも自分でやろうとせずに人にできることはさせる。そうすれば、人は活きます。そうすることが、本当の意味で自分を殺して人を活かすことといえるのではないでしょうか。
このような自分を殺すことの意味がアベコベになってしまっているような気がするんです。今の世間一般で言われる自分を殺すこととは、実はエゴの裏返しであるような気がします。仕事のパイが少なくなって仕事にありつけず、人としての当たり前の生活ができなくなってしまう人が増えている中、いい意味での怠け心を持ち、ワークシェアに貢献することが不況再生のカギだと私は思います。(とはいえ、自分を殺すということを本当に実践できる人はなかなかいないものですが。)
やっぱり行政が動かないとダメなんですかね。と、人任せ推奨の自分が言うのもなんですが、こういうことまで人任せにすると、社会は一向に良くならないのは事実ですね。
仏教にも自力の教えと他力の教えがあり、自分はこの関係というか線引をずっと考え続けていたのですが、やはり一筋縄ではいかないことのようです。答えは、自分の中の人が言うに「人それぞれ」とのことで一般化は難しいのかもしれません。(人と人との違い、神様の目は善悪の個別的な対象ではなくこのような人の認識の違い(中身)を見ているようです。)(他力の教えの一つに、悪人正機説というものがありますがこの辺が一つのキーになっているものと思います。)
なんにせよ、オカルト的に言うと、ぶっちゃけ社会一般のことはどうでも良いです。ただ神様(もしくは自分の中の人)にだけは嘘をつかずに生きればそれでおkなんです。結局は、人は人。他人は他人ですね。

少し欲が過ぎたようですね。

以上、このようにとりとめもなく2010年も行こうと思います。よろしくお願いしますmm(早く寝なきゃ。)

みぞれ雪

みぞれ雪
仕事終わった。飲み会の後でコンビニに寄ってふと外に出るとみぞれが降っていた。長く尾を引いて落ちていく軌跡を眺めていると、自分がどんどん外に押し出されていって、比較的に縮小していく気分になる。コンビニの煌々とした夜の静けさに場違いなその暴力的な光に、雪は白々しくも自己主張して落ちていっているのであった。こうしておれの今年の仕事は終わった。
みなさん仕事おつかれさま。今年はどういうふうな年末を過ごされるのかは、人それぞれでありますでしょうが、等しくみなさんが年末のゆっくりとした時間の流れにたゆたうことを望んでここに結びます。

雪見みかん

雪見みかん
 ふとジャケットのポケットに手を突っ込んだら、シワシワになったみかんが出てきたので活力を与えてみた。こうしてみると、当社比50倍増しくらいでおいしそうに見えるよ。
 最近、雪降らんの。アパートの前の雪壁を今のうちに壊しました。テラ暇人。
28日(月)が今年の最終出勤日です。神社の近くに引っ越したので、今年から歩いて初詣に行けます。10万人くらいくるらしい。日ごろはあんまり人いないのに。形式が好きな日本人。信心深いとは言えんね。人のことは言えないけど、自分は神社が大好きです。

鳥居

鳥居
なでこー!(*'o'*) なんでもないです。
名前かえました。今日はクリスマスですね!
うちは昨日をご馳走にしたので今日は比較的普通です。
今日はなにやらデザートがあるらしいんだが・・・早く食べさせろお!

○追記
 プッチンプリン(いちご味)でした\(^o^)/

銀嶺

銀嶺
すごくきれいなので撮った!
まだ菊の写真いっぱいあるけど我慢できんかった^^
自然の神秘だねー。

わが子の夢の話

わが子の夢の話
最近、夜遅く寝床につくときまってわが子がうなされているのに気付いていた。そんななか、自分はたまの余興と良い夢を見ることを願い、床に就いた。

夢に入り、気付くと、部屋の座椅子に座っていた。そして最近、やっと這うようになったもうすぐ生まれて8ヶ月になるわが子がすくすくと歩いてこっちに来た。歩くはずがないものが歩いているのでこれは怪異の類だなと思い、逃がさぬようきつく抱きかかえ本物のわが子を探しに別の部屋に向かった。(もう1人が見つかれば少なくともうち1人が偽者だからである。)そこにはあと2人のわが子がいた。怪訝そうにみていると、うち1人がみるみる大きくなり目は異常じみた様相を呈した。わが子を装われた怒りで気持ちは大きく昂ぶり、自分は1人を抱きかかえながらその一方を首をつかみ、きつく締め上げた。その怪異の顔は苦痛にゆがみ、みるみるうちに小さくなり、犬歯をむき出しにした毛のない小動物のような醜悪な顔となった。そこで目が覚めた。

さてなぜこの怪異はわが子を装ったのか。歩いて見せ、みるみる大きくなればわが子の成長に喜ぶとでも思ったのか。その稚拙さからみて、もし、怪異としてもかなり低級の部類だろう。

江戸時代の書物である平田篤胤の仙境異聞には、仙人に連れて行かれた子どもの話があり、「豆つま」という怪異の話が出てくる。お産の時の穢れから生まれ、子どもだけにみえ、驚かす怪異である。また、西洋に夢魔というものがいる。夢に現れ、人を悩ますものである。

ただの夢であるともいえるだろう。夢に出てきたものは怪異であり、自分を楽しませようとこのような夢を見せたとも思える。(そして、そう願ったのは自分である。)あと1人のわが子は本物のわが子であれば、わが子を助けたともいえるだろう。(しかし、全てわが子にみえたものが怪異である可能性も排除できない。)

わが子はこの悪夢のあと、数時間はうなされていた。この夢魔は自分を楽しませるのと同時に、わが子を悪夢にさいなんだということであれば、面白いことだ。そして、この現象からは、本来、見る楽しい夢とはこのような魔の類が見せるものなのかという疑問が浮かぶ。(そうであるならばそもそも夢とは何なのか。)

朝起きてみると、わが子はとても機嫌がよく、自分に対してはじけんばかりの笑顔を見せてくれたのだが。

そして、通勤途中にこの夢について考えたあと、帰宅の時にもそのことについてよく考えた。仕事から帰ってわが子を風呂に入れてみると、ふと、この子が本物かどうかを疑ってしまった。悪い思いに駆られ首を絞める真似事をするとわが子はものすごい勢いで泣き出した。(首を絞めるという行為をされたことがないはずなのに。)

そのとき、なぜ怪異とは思えど、夢の中とは言えど、わが子の顔をしたそのものを殺さぬよう手加減はしたとはいえ、手にかけようとしたのか、とひどく後悔の念に駆られた。

恐ろしくもあった。(とある文献で魔が受胎し、修行者の子として生まれ修行の邪魔をすると知っていたのだから。)(そして自分はさぼり勝ちではあるとはいえ、修行中の身である。)

何物も定かなものはない。目に見えぬものとはそういうものだ。しかし、偶然にしては出来すぎているから信ずるに値するものでもある。

くだんの悪夢を見た後、実は別にもう一つ夢をみた。王族の息子と母に見えるものに自分がなり、何者かの襲撃に遭った中で大急ぎで身支度を整えていた。その中でその夢の人物にとってはその部屋はよく分かっているはずなのに自分は分からず、当然ながらあせることになった。ここで気付くことがあった。普段の明晰夢の経験から、自分が夢で体験するそのときの人物は、単にそのときの役割を自分の自由意志で行うだけであり、その人物にはその夢の時点の前からそれ独自の社会背景を持ち、生活しているように見えることに気付いていた。そして、その社会背景を元にした行動の範型とみえるものを自分の自由意志が大きく逸脱すると、その夢から覚めてしまう(追い出されてしまう)ことに気付いた。

ここから考えられることは、自分は夢で他の人物に乗り移り行動しているだけなのではないかということだ。(明晰夢の状態になければ、この状態には気づかず、当然にこの人物に為りきり行動してしまう。)(つまりは、この夢の中において自分と夢の人物にさしたる境界は無い。いわば荘子の胡蝶の夢である。)(明晰夢の状態にあるときにのみ、自分ともう1人の夢中の人物の個の違いが黙示的にではあるが浮き立つことになる。)

話が飛んだが、考えられることはこうだ。わが子は、どういういきさつかは分からないが、夢で魔となり、自分をたぶらかせた。(否、この自分を稚拙な手であろうが、楽しませようと思ったのかもしれない。)同時にいえることは、魔と人間とはそのように曖昧な差をしか持ち得ないということだ。(人間は夢で平気で人を殺せたりすることはこういうことなのかもしれない。)人の世の輪廻転生は神・人・畜生・修羅・餓鬼・地獄の間を転廻するが、魔も例外ではないのかもしれない。

そういうことを今日の夢から考えることができた。興を得るという当初の自分の願いは達することはできたとともに、その功罪もまた際立ったのだが。

○追記
「胡蝶の夢」もそうですが、中島敦の「山月記」も似ている話ですね。
wikiによると、唐朝時代の「人虎伝」なるものが元になっているらしいです。
いやぁー。仙道ですねー。(まあ、私のは少し違いますが。)

あいまい

あいまい
明日が消えて 夜が明けず もう日が暮れることもない かまどを囲い 語らう時も 残されていない 人が死に 生きることは 絶対普遍の安定性を備えてはいないのだから かといって直視する現実を持たずに 偶然に起こるそれぞれの事態に ただ遇に接することが良しとはいえぬ のだろう そこはかとなく クリアされる現実 現実は私らを置いてけぼりにして 去っていく 足早に 記憶のカケラは わが心中に 残る されどもわが心中の一物は途方もない速度で 我を忘れていく 忙しすぎる 早すぎた現実の中で 我という 響きは とても虚しい 秋空は過ぎて 鉛色の空が 降りかかり 明日が見えない そう何物も見えるものは ないことに 気付いた

ビデオカードが届いた!

ビデオカードが届いた!
昨日、届きました。早い!さすがアマゾンとは違うな!w

というわけでさっそく、換装してみました。取り替えるのは初めてだったですけど、なんとなく感覚的にできました。

で、その実力はというと…

オブリビオンの画面サイズ(解像度)をフルスクリーンにしても違和感なく動く!でも3D酔いがひどい・・・ なんの影響かは分からないですが、必殺技をうまくでなくてすぐ死んでしまった。今まで10人のガードと戦っても
無双状態だったのに!というわけで結局、一番小さいウインドウサイズで遊んでます。

しかしファンレスだからとても静かです。まあ良い買い物だったかなと思う。

うちの住んでるところでとうとう初雪… とても寒い。あと道路がシャーベット状の雪でべちょべちょ。靴を履いていても歯覚過敏みたく冷たい水がしみてくる。

でも雪国も好きです。寒いときに外に出ないでいいから^q^ 雪国でなくても寒いのは寒いですからね。

今日の夢

今日の夢
山の夢を見ました。いつも登ってる山のような感じで、中腹に大きな湖があった。なぜか縁はコンクリートの護岸だった。湖をはさんだ崖の穴から溶岩を間欠泉みたいに断続的に出ていた。そこで声が聞こえて、〜ヒメという名前を二つ聞いた。

最近、印象に残る夢はなくて覚えてませんでした。前にも山の夢は見ていてとても不思議な気分にさせられました。

聞いた名前はそのときは覚えようと思ったんだけど、それからだらだらと起きるのが遅れて忘れてしまった。

(夢の中でこれは夢だと分かってるから一応、覚えようとはするんだけど。)
もっと不思議な夢がみたいです。

http://www.smilevideo.jp/view/9047804/3219238

上の曲、サガフロンティア2の曲ぽくて良かったです。
ということで勝手に紹介。