頂上付近に到着!

頂上付近に到着!
何度きてもこの世のものとは思えない!
目の前に雲が通ってます。
それにしても天気に恵まれたのが運が良かった。

次の日は曇り。山の天気は変わりやすいとは言うけれど、
これだけは登ってみなきゃあ分からない!

違う花みたいだけど・・

違う花みたいだけど・・
同じ花なんです。 イワショウブというらしい。
赤いのは実らしい。最初、違う花かと思った(。・ω・。)
頂上付近で見かけた夏の花。氷河時代の生き残りなんだってさ。
高山にはお花畑があります。

山に登る人は花に興味がない人も多いけど、
(自分もそんなに興味がある方じゃないがヾ(・д・。))
やはり一面の花畑で一生に一度くらい寝転がってみたい気はする。

雲が近い

雲が近い
雲が近い。

下界で雲に当たる感触を感じる経験はなかなか無いだろう。
ちなみに雲に当たると、冷気と同時に顔体中がびっしょりになる。
たとえると、巨大な霧吹きで体中を噴かれたような気分か。

雲って案外動くの早いんですよ。近くで見ると。

へばりつく命と削り取る命自然はただ在る

へばりつく命と削り取る命自然はただ在る
山に懸命にへばりつく命。
冷涼な気候は、容易に命が根付くことを許さず、
人の歩みは容易に山の斜面をガレ場へと変える。

自然の厳しさはあろう。
雪解けは人の流れた道を通り、天命に沿って斜面を駆け下る。

アブは血を吸いにくる。
山の命は人の命をも糧にしている。

人の命も肉体的にも精神的にも人生に削りとられている。
人の命は、気付くに関わらずヘイフリックの限界を超えることはできない。
ただし、それよりも精神の疲弊を感じることができない人々はさらに多い。

ただ進む

ただ進む
まわりが見えないこともある。
塞いでいるのは、賢明に生きようともがく一個の生命とその集合。
目を塞ぐものは、それそのものが目的ではなく、
ただ生きようとしているだけなのかもしれない。

しかし、そうやって自分勝手に生きようが、人が通ればそこは道になる。
よそ様を押しのけようが道は道。
開山された法師方は何を思い、山を開かれたのか。

空が近くなってきた

空が近くなってきた
目の前に山がある。頂はまだ遠い。
この角度だとハングのカーブ具合で頂は見えないもの。
見えるよりも遠いもの。遠いよりも見えるもの。

まだかまだかと思っても、先は見えない。
じゃあ、いっそ見ない、いや、見えないほうがいいのか。
山登りは人生によくたとえられる。人生も同じことなのか。

そして思う。
遠くのものより今見える近くのものを選ぶ生き方も理にかなっているのかと。

チョウを撮ろうとしたが・・

チョウを撮ろうとしたが・・
この安いデジカメじゃあさすがに飛んでるのは撮れなかった。
日の光に透けたチョウの羽は幻想的ですらありました。

ゆらゆらと飛んでは戻ってくるチョウは、
こちらの気を惹くためなのかと思ったりもしたが、良く見ると、
ほかにも同じ種類のチョウがたくさんいた模様 |-`)

あんなに楽しく飛んであっという間に山頂に行きたいもんだとは
思ったが、短い命を思うと感慨が深い。

荘子の胡蝶の夢ではないが、人の命も青春時代は一瞬。
悠久の時を見れば、人もチョウも同じ命であるとは別に
どちらも大して人生に軽重も無いのではと思ってもみた。

まだ、自分こそまだ若いとは思ってはいるが、子どもを授かると
世代の交代と自らの老いを意識せざるを得ない。

老いとは。平日の今日、登山道を行き交うのは老人ばかり。
いやがおうにも意識を向けさせられる。

6合目

6合目
すでに登り始めて2、3時間。
天辺に見えるのは到着地・・・ではない。
が、あそこくらいまで登ると思うとさすがにイヤになる。
登山が好きなわけじゃないんだ。

良く管理されたブナ林

良く管理されたブナ林
前に来たときはこんなに管理されてなかったはず。
ほどよく管理されて日の光が入ったブナ林。
地元の山岳会の苦労には頭が下がる。

マイタケとメスクワガタ

マイタケとメスクワガタ
山に登ってきた。
登山道の途中、秋の風物であるマイタケと写る
土から顔を現したばかりのメスクワガタ。

下界ではコスモスが咲き、とんぼの飛ぶ頃。
山の短い夏の季節遅れの完成。
花の命は短いとは言うけれど、こんな土くれじゃあな(*-ω-)

オスクワガタも見つけが撮らんかった(´-ω-`;)
ひょっとしたらつがいになる運命なのかもな・・・
邪魔だから登山道の脇に投げちまったよ┐(´ー`;)┌