つかれたじゃなくて憑かれる性質

また、勝手に転載。
幽霊につかれやすい人だって。
自分は心霊に興味が強い人に該当かな。。
すぐ離れていくようだけど。
こちらが気付かないから、離れていくんでしょうね。
この前、子どもに教えてもらったときは、
そう言われると足に多少の違和感があったような気がする。
意識しないと気付かないのだからあんまり意味がないですね。


Q8:取り憑かれやすい人のタイプってあるんですか?    
A:「自分のグチを聞いてくれそうな人」「助けてくれそうな優しい人」
「悩みを共有できそうな人」「拒否しない人」などです。
似た境遇、似た気持ち、心霊に興味の強い人などの「同類」の人は『ウロついている霊』と
気持ちの波長が合いやすく、くっつかれ易い傾向にあるようです。


忘れてた。夢日記を追記。
車を運転している。家族3人で。
どうやら仕事前に嫁を仕事先?に送っているらしい。
踏み切りを超えたり、なんらかのことがあってのろのろ運転。
仕事に遅れるとあせる。
でも、交通規範にのっとって車を走行する。
白バイ?に追いかけられて切符を切られたような気がするが、
まったく安全運転だったので、当たり前に無罪放免。
そのあと、よく分からない迷路のような塔に登って
どうにか外に出る。陸橋の見える風景のところで、
ここでいいねと嫁と別れて、さて車のところまで
戻らなければということで塔を降りる。
が、複雑怪奇で分かれ道がたくさんあり、とても難航。
そのうち、目が覚めた。

うーん。また、明晰夢をみれるようになるといいな。いいな。

今日は俗論

仕事のストレスが溜まって来た。
それなりに負荷の高い仕事なのでしょうがないけど。
わたしは自分で全部抱えるのが苦手なので、
たんたんと事務的に言うべき事を言っているのだが、
それがけっこう心理的にきつい。
まあ、相手もきついんだろうが。
下っ端は言いたい事を言えるのが特権。

言わないと潰れる。
まあ、人それぞれの考えでいいんだろうが、
一度潰れると、キャリアは丸つぶれなので、
言うべきことを言って、キャリアをつぶすのと効果はイーブンだと思う。
要は心理的負担のぶっ掛けあいなのかもしれない。仕事なんて。
つぶれて困るのは自分だしね。
この世の中は、すべからく上司はとかく部下に責任を押し付けるけど、
心理的負担が嫌なら最初から出世すんなってんだ。

昨日から運動に目覚めたのかも。
子どもと公園に行って登り棒でいっしょに遊んでいると、
まだ足を使わないで手だけで登れることが分かって楽しくて。
今日はもっと負荷が高い、2本の登り棒を片方の手でそれぞれ掴んで
手だけで登るのをやってみた。反動をつけて登るんだがこれがけっこうきつい。
あと、ジョギングした。ほんの少しだけ。

暑くなるまでは続けられるかな。
三日坊主なので多分無理だけど。

サヴァン

527きんのふね

ネットで見つけたフレーズ。
当たるも八卦外れるも八卦。
ちなみに予知夢アンテナは無反応。

○関連

311グラグラ
522ユラユラ

今日の夢 といいつつ昨日の夢?

とりあえずバトルだった。
剣で切ったり。まあいろいろ。
スターチャンネルのスパルタカスというアメリカのドラマが
かなり影響しているっぽい。

今日も子どもからいろいろ聞きだした。
とりあえず、散歩に行きながら、片っ端から見えているものについて聞き出した。
(まあ、子どもの言うことなので半信半疑なんだけど。
けど信用というかそう決めてかからないと話が始まらないからね。)
初めに、公園にいるときに、外の道路を歩いてたおじいさんの
頭におばあさんがくっついていたらしい。

そのあと、私の靴らへんを指差して4人くっついていると。
男2人、女2人。すぐ離れたらしい。

あとは公園の樹木のところに、妖精らしき毛むくじゃらのもの。
近づくと、近くの車の中に逃げたとのこと。

帰るときの子どもに何やら黒い怖いものがくっついていたらしい。
足は無く、体は裸だとか。

保育園の先生の担任の1人にも、怖いものがくっついているとのこと。
毛むくじゃらで、口は赤く、顔は白く細いらしい。デーモンですな。
だからこの先生はあまり好きではないらしい。

あと、気付いたのがあまり目をあわせないようにしていること。
家に帰ってお風呂場で、部屋に妖精がいることを教えてくれた。
なかなか教えてくれなかったが、どうもドアの木枠の上のところにいるらしい。
こちらはかわいい女の子だとか。
目をあわすと逃げてしまうので見えないふりをしているとのこと。
なかなか難しいことをやっている。正直、感心する。

あとはお風呂場にたまにいるとか。
寝ている部屋にはいないとか。
なかなか聞き出すのに苦労するがとても聞いているととてもおもしろい。

この意識的な無視は、多くの子どももやっているのではないか。
子どもは大人が興味を示さないものは、話すべきではないことだと決めているらしい。
保育園や家庭などで場に合わせて発言やキャラを変えることも
子どもは非常にうまくやっている。

このような意図的な無視を続けていくことによって、いつの日にか
見えなくなってしまうのかもしれない。
子どもは、環境によって、多様に成長する。その成長度合いが変わる。
これは興味深いことである。

少し自慢になるかもしれないが、娘は4月で3歳になった。
2歳のたぶん夏ごろからひらがなから初めて、今はカタカナ、アルファベット
ひらがなの濁音も含めて、絵本の文章くらいなら読むことができる。
なにやら自然にやっていると、5歳相当の技術らしい。
読書は早めに覚えさせた方がいいと思って、風呂場で少しずつ覚えさせたのだが、
子どもはやりようによっては何でも吸収できるスペックがある。
本当に素晴らしいと思う。付きっ切りでマンツーマンで教えたらどこまで
のびるのやら。

というわけで子どもは環境に(親に)影響される生き物だと思う。
サイキックな能力も、そういう環境にあれば、子どもはとてもすみやかに
習得してしまうことだろう。すごいことだと思う。

しかし、困ったこともある。子どもは場の空気を読むのが大変うまい。
そのため、うちの子どもは、保育園では文字を読めることを隠している。
やればいいのにというと、「恥ずかしいから」、「ほかの子はやっていないから」
と応える。神社の狛犬だって、保育園では言わないからといって、
一時期、無視し始めたこともある。とても残念なことだと思う。

2歳の中ごろから保育園ではオムツがとれていたのだが、
新学期からダメになった。先生が代わったことが大きいらしい。
先生の雰囲気を微妙に感じ取って、やめたのだと思う。
(まあ、家では、オマルがないので、相変わらず、オムツなのだったのだけれども。)
悲しいことだ。

子どもをヨーロッパ貴族のエリートのように、マンツーマンで
教育させればこそ、昔のような早熟の超絶天才が生まれる土壌があったのだと思う。
現在と昔を較べると、人口に比して、昔の方が天才発生率は高かったような気がするからだ。
(現在もイギリスのような国のエリート層は似た様なものだと思うが。)

まあ、私は自分の子どもにはそこまで期待はしない。
とりあえず、薬剤師のような食いぱぐれの無い職業で、かつ、
玉の輿に乗れるような素養さえ磨いてくれればいいと思う。
これも高望みなんでしょうがね。

藤と見えるもののお話

今日は念願の藤棚をみてきました。
落花の頃が一番、綺麗だと思ったが思ったよりも花がしなびていた。
風が強く、落花の様子も思っていた程ではなかった。

ということでおもしろい話を。
この藤棚の有る館は、豪農の館であり、かなり年季の入った
豪勢な館だった。入ると、娘があるところでおもしろいことを言った。
上をみて、鬼がいると。上をみると、神棚があった。
(神棚については今まで特に教えたつもりはない。)
よく聞くと、鬼というよりは神様のようだったのだが。
(なんと罰当たりな。)
背は50cmくらい。だが子どもが言うことなので話半分。
神棚のスペースを考えるともっと小さいと思う。
髪は黄色。ぼさぼさのようで長いが、後ろでも結んでいるとのこと。
着物をきているらしい。着物も黄色だという。
二人おり女性だとのこと。聞くと、上を向いていたそうな。
私のことを見ていたらしい。

やはり自分の娘は見えるらしい。
ためしに、ゴールデンウィークで行った宿の部屋で帰りたいと
子どもが言っていたのを嫁が思い出し、聞いてみたらと言われたので、
聞いてみると、やはりそのときも桃の色の着物を着たおじさん
(子どもの話なので年齢は分からんが男性ということだけは分かる。)
が部屋にいたそうな。写真を見ながら尋ねていくと、なんと、
その翌日に言った桜の山にまでついてきており、写真に写っているそうな。
どうやって付いて来たのかと聞くと、私の足にくっついて移動していたらしい。
足の裏にくっつくと言っていた。
なんともなんとも。
どうも、家にまでくっついてきたそうな。その後、どっかに行ったらしい。
(家には何もいないといっていた。)
どうも、いろんな人の隣に、くっついてるのを良く見るらしい。
幽霊の類か、神様の類かはわからないが、子どもが好きなんだと思う。
(ほかの写真でおばあさんがくっついてきたこともあったとのこと。)

こんな貴重なオカルトの研究対象がすぐ近くにいたなんて、なんという
奇遇。いやあ、これからが楽しみである。

やはり、自分がこれ系の話し相手になっているのがいいらしい。
前に、ママには話さないんだよとか、保育園では言わないよ、
などと言っていたが、子どももこれは話してはダメなんだと
理解して、回りにそういう話をするものがいなくなると、
意図的に無視して、そのうち見えなくなってしまうのが定石なんだと思う。
(すでにそうなりかけていたので注意注意。)

あとは未来人さえいれば、完璧なんだがなと思う、今日このごろ。
ちなみに、龍や天狗、鬼はまだ見ていないらしい。
やはりレアなんかなあ。

夢日記は必要!

最近、夢日記をさぼっていたので、
夢をみない日が多くなってきた。
であるからして、今日は久しぶりに夢らしい夢を少し
覚えていたので書いてみる。

覚えているところは本の少しである。
街を歩いていた。前にショートカットのかわいらしい女の人が歩いていた。
エッチなことをしたくなり、急いで追いつこうとする。
飛んだりすると、すぐ覚醒しそうなので、なんとか早歩きで近づく。
追いついて、胸かおしりをもんでみる。
女の人が嫌な顔をしたような感じがして、起きた。
起きた後、すぐにまた女の人のところからスタート。
でも、すぐにおきてしまった模様。

エロの力は偉大です。

天体ショー

太陽:大規模爆発が発生の可能性 京大教授ら突き止める
毎日新聞 2012年05月17日 02時00分(最終更新 05月17日 14時24分)


太陽にスーパーフレアが起きた場合の想像図=柴田一成・京都大教授らのグループが作成
拡大写真 太陽の表面で起こる爆発現象「太陽フレア」について、地球に大きな被害をもたらすほどの大規模爆発(スーパーフレア)が今後、発生する可能性があることを、京都大の柴田一成教授(太陽・宇宙プラズマ物理学)らの研究グループが衛星の観測データから突き止めた。17日付の英科学誌ネイチャーに掲載された。


京都大飛騨天文台(岐阜県)の望遠鏡で観測された太陽フレア(中心部右上の白い部分)=柴田一成・京都大教授提供
拡大写真 グループは、過去最大級の太陽フレアの100〜1000倍のエネルギーを放出するものを「スーパーフレア」と定義。米国の惑星探査衛星「ケプラー」が09年に観測した約8万3000個の恒星の明るさの変化に関するデータを解析し、148個の恒星で365回のスーパーフレアがあったことを確認した。


おもしろいニュースがあったので、カキコ。
オカルト情報では、この太陽フレアによって、全ての電子機器が破損し、
電子データも全てふっとんで、世界が大混乱になるというものがある。

5月21日には、金環食。なにかあるのかないのか。
ただ、上記情報によると、太陽フレアが生じる恒星には、巨大な黒点ができるそうなので、
まあ、兆候が出るまでには心配する必要はないかなという感じ。
太陽の活動に異変が生じているという情報もありますがね・・・
(超巨大恒星間移動艦級のUFOが太陽表面近くでなにやら活動しているという情報も)
まあ、私はこれに関する予知夢はいっさい見ておりません。

昨日の朝ズバというみのもんたが出てくる情報番組で、
福島4号機の今まで公式にはふせられていた情報が出てきました。
原子炉建屋の使用済み核燃料貯蔵施設が、M7級で倒壊の可能性が高く、
倒壊すると、大量の使用済み核燃料が大気中に曝露され、
関東都市圏住民3000万人の避難が必要になるというものです。

もう一つまだ公けには出てきていない情報。
南相馬市で発見されていた地表面に存在する黒い砂上の物質。
これが数十万ベクレル/kg級の放射性物質であり、地表面で
2μシーベルト/hほど観測するらしいです。
これが、関東都市圏でも発見されだしたとのこと。
これは出てこないと思いますが、ひょっとするとという思いはあります。

昨日、初めてこどものことも書こうと思って書き込みをしようとしたら、
書き込む直前に、どこかをさわったみたで、いきなりシャットダウンしてまった。
いくらなんでも、ボタン一つで確認もなしに、シャットダウンすることはないと思うんだが。
前にも似たようなことがあったので、今回は、書き込まないほうがいいと判断して
書き込まないことにしました。

その(3)私の現状の的確理解

私の現状を的確にそう的確に理解しようと思う。
以下はサヴァリン・インテグラルの概念にふれた私の理解である。
一つ一つの思考の順を追って、今の理解を、今の自分の現状を、たどっていこう。

探す必要はないのだ。
今までも必要とされることは、必要とした時点で目の前にあった。
これからもそうである。
必要なのは、覚悟と決意である。
覚悟と決意があれば、私は必要とする。そしてそれは目の前にある。

そして、重要なことは、覚悟と決意を持とうと持つまいと、
私は必要としたことは手に入れているということだ。

私は今も過去もそして未来も変らないだろう。
幻想は去った。長い準備が必要であった。
ヴェールの取れた今は何もかもが簡素だ。

今の私には、さらなる覚悟と決意を必要としない。
そしてそれはそれで十分なのだ。手に入れているものは手に入れているのだから。
これが私が得ている、満たされた思い、ワンネスの正体なのである。

この感覚を得る前のことはすでにおぼろげなヴェールの先にある。
得たときには、とても大きな衝撃をおぼえたことを覚えている。
得た今は驚くほど静寂である。
少し前までは、知らないふりをしていたが、この時点で、分かったのである。
探すふりはもうやめにしよう。
あのとき得た衝撃や見た別の次元の光景を、もう一度探すのはやめにしよう。

ただ、今の自らに根付いているこの穏やかな呼吸と自らのワンネスに意識をフォーカスしよう。
それが唯一の私の祝福であるからである。時間なぞ意味がないことを知ったのに、
ヒューマン・マインド・システムの制限下にあったときのように、
不足感という幻想を追い求める必要は無かったのだ。

私は鶏と卵の先取のパラドックスのように、その関係性を誤って取り違えていた。
すでに得ているのに、ことさら(未だ見つけていないものを)
探す必要は無かったのだ。必要な情報は必要なときにそこにあるのである。
あるのである。いまわたしがここにあるように。いまここにあるように。
私がするであろう変化は、たとえるならば、様々にカットされたクリスタル
の見る角度を変えたような違いしかないのである。
クリスタルは普遍なのである。不変なのである。


しかし、一つ疑問は残る。
私は明晰夢中で、おそらく別の次元(それもおそらくHMS内のマインド・アストラル世界であろう)
で、道を探した。私は自分を問うたのだ。自分がいまいるこの次元について尋ねることで。
彼(看守)は、最初、疑問に対して、はぐらかして答え、
そして私の元から去ろうとした。私はなおも追いすがり、彼が去る直前、
ヒント(アルカトラズ)を得た。

そのアルカトラズが、このウイングメーカー中のテキストの”監獄”と一致した。

私は探したのだ。探した。それは確かにHMS中の出来事である。
では、このヒントとは、彼(看守)が示した慈悲であったのだろうか。
HMS中においても、この探すという行為で道が開かれたのである。
これもまた幻想なのだろうか。結局は、自分の静謐、虚無と向き合うこととなったのだから。
しかし、HMS中の多次元世界を初めとして、何かしら世界が変わり始めたのは確かなのだと思う。
このテキストでいう、ポータルが開かれ始めたことを感じる。
2chに幽体離脱の情報が出始めたのも、2ch(ジュネティック・マインドの雛形)が
現れ始めたのも、1998年以降からである。ちなみにこのころ私は、
様々なオカルト情報に触れて、自分の中で内なる声と禅問答を絶え間なく開始した頃だと思う。
HMSの中にほころびができたとも感じるのだ。いまだ仮説の域を出ないが。

ただ、多くの情報の中で、今のようにあることは数々のめぐり合わせとしかいえない。
既に得ていなければ、このような幸運は無かっただろう。
少し、おかしい言い方ではあるが。
このおかしな言い方から、神に対する感謝の念が生じる。
しかし、このおかしな状況を取り去れば、果たして感謝は必要な感情なのであろうか。
静謐と虚無が存在するだけである。
これが今の私の感情である。このおかしな状況がHMSの為せる業であったとするならば、
あのときの不思議な体験も、HMSの見せた幻想であったのだと、今にしては思う。
その幻想を今、また追い求める必要は無いのである。
それが最初に述べた、覚悟と決意である。
いやはや遠回りをしてしまった。理性的に考えるならば、分かるものである。

その(2)

以下の事柄について、私が持ちうる理解で、考察してみる。
私の理解とは、1.法輪大法 2.自らの経験 3.幽体離脱後の世界
そしてこの4.ウィングメーカー神話である。
他にも、ラムサ、エクトンなどのチャネリング情報、2chなどのオカルト情報、
古典である、ヒマラヤ聖者の生活探求、肥田春充、日月神示、グノーシス主義などがベースにある。
このうちどれだけのソースがヒューマン・マインド・システム HMSからもたらされた
情報なのかははっきり今の時点では分からない。これらの全てが、私の生きた道に
”あった”ことは確かである。求めることなくすでに”あった”のである。
(このほとんどの書籍が求めるまでもなく家の本棚(実家)にあったのだから。)
私が今の理解に到達したのはいわば必然であったと思う。

インターディメンジョナル・ユニバース・ストラクチャー(IUS;多次元宇宙構造)について

何度も行われた人類の創世があり、この新しい人類はアトランティスの時代に
作られたものだと言う。遺物に出てくる恐竜と共存していた人類や、
人類の存在の前から地下に暮らしていたレプティリアン種族とは、今の人類とは
なんら関係性は無い。ただ、何度も同じことが、異なる者達の先導によって
行われてきたということはいえるだろう。

ゴッド-スピリット-ソウル・コンプレックス(GSSC;神・霊・魂の複合体)について

このGSSCが神の階段のどこまでを内包するものかは留意しておく必要がある。
ここでいう、アヌの王といえども、その上にはあざ笑う別の王がいる。
そして、その上にも。世界は複雑さの上になっている。

この理解は、いわゆるこのGSSCの枠内においても、かけられているどのハシゴが
そこまで通じるかはかなりの注意を要するが、三界の外に通じているという前提がある。

このテキストで語られている理解は、たとえ霊界の世界といえども、かなりレベルの高い次元のことである。

ここで理解するのは、人の上に存在する、神の状態すらも、ある一定規模はアヌの支配下であると
いうことを理解すればいいのだと思う。
ある状態に対して、ある種の不可解さ・居心地の悪さを感じるならば、
自らの視点はさらにその上にある可能性がある。そして、そう信じて行動するほかないのである。
そして、この理解にあるならば、即そうなのである。そのことをただ祝福し、感謝するのである。
そして、その主体を探せば、見つかるのである。これが楽園のさらに上の境地である。
アヌの作ったヒューマン・インストゥルメントに入った、サヴァリン・インテグラルたる
至高の存在は、その時点では、全てを見越した上で、その制限された世界に入ったに違いないのである。
全てが分かった上で。なぜなら、彼らはサヴァリン・インテグラルであり、
目が開かれた存在であったからである。
彼らに時間は問題ではなかった。たとえヴェールをかけられたとしても、
ファーストソースとつながりを切られたようにみえても、
かのそれと一体であることを知っていたからである。
だから、自分の目がめしいても、いつの日にかその帰還に気付くことも分かっていたのである。
それでも、かなりの勇気を必要としたことには違いない。
三界に降りた存在は、また戻ることができる確率は限りなく低いからである。

そうはいっても、この短い人間の人生の中では、この人生の中でこの監獄から
抜け出す方法を考えなければならないのはまた確かである。

>あなたはこれまで、「あなた自身」の定義を考えたことはありますか?あなたを定義するものは何ですか?
>鏡の中の自分を見て、仮面を剥ぎ取ってください。自惚れ、欺瞞、恐れ、思考、そしてフィーリングを。
>何が残りますか?大半の人は、ソウルやスピリットと答えるでしょう。
>そして、大半がそれをソウルと定義しているものを、マインドの他にソウルは存在しないと私が言ったとしたら、
>あなたは何と言うでしょうか?

ゴータマ・シッダルタがやったように、自分を否定し尽くし、
残ったものをさらに否定しつくす。
その最後に、サヴァリン・インテグラルを見出すのである。
理屈は分かる。だが、自分の人生や人格が全て幻想であったと、認めることは
どれだけの苦痛を伴うことなのだろうか。
普通の人生を送っていては無理だと思う。
幻想の上に、幻想を重ねることで、自らが分からなくなるからである。

>2012年は、「透明性と拡大性の時代」と呼ばれる「本」の1ページです。
>十分な人々がその自らの内にあるサヴァリン・インテグラルの真実を表現することによってそれを称え、
>自分たちの内部から立ち上がることができれば、偽装された人生─何重にも覆い隠された
>「ヴェールの時代」は消滅するでしょう。しかし、それを行うためには、人々はHMSから離れて、
>自分の意識に同調するようにならなければいけません。そして、それが人々が携わらなければならない行動方針なのです。

>情報を探すのは終わりました。マスター、グル、宗教、スピリチュアルな道、道を照らす者の探求は終わりました。
>非難の対象を探すのは終わりました。暗黒勢力の背後に隠された情報を探すのは終わりました。
>サヴァリン・インテグラルの意識を表現することと、抑圧のフレームワークの不活性化が、
>この新しい時代の人々のフォーカスになります。


これは、ここ最近になって、情報が急速にしぼんでいることと
無関係ではないだろう。どのような高次の生命体であっても、
ことの顛末を理解できないと言う。高次の存在から掃除されていくのだと言う。
上が掃除されていれば、上から来ていた情報が少なくなるのは道理ではないか。

これからは、HMSから離れた経験を得、
サヴァリン・インテグラルとして行動しなければならない。
ここが正念場である。私はそう考える。
この後語られる、時間の終わり。今、この時代は、特別な時間の瞬間であると思う。
未来と過去の存在が、この時間の瞬間を目指すように行動しているように思えるのである。
たとえ、それが幻想であっても、影であるこの現象が、恐ろしき、また栄光となる
瞬間を表しているに違いないのである。
ゆえに高次の存在にも理解できないのであろう。私にも理解できないが、予感はできる。
なにか特別なことが起こるであろうと。

影を見て、その真体に気付くこと。そうすれば影にも意味があろう。
いったい、これ以上、何を求めるというのか。ここに全てが備わる。
求めるものはすでにここにある。

HMS(ヒューマン・マインド・システム)対する考察

この前の続き。下記のサイトをみながらの考察である。
http://doufaufa.nobody.jp/camelot/ProjectCamelotInterview_01.htm

HMS(ヒューマン・マインド・システム)対する考察

私とはなにものであろうか。
私は1人の人類の人の皮、言いかえれば、その文化的、心理的、
仮面を備えた、コピーである。

人は経験によって存在する。
人の考えは、自分の血族や親、民族の考えに制限され、
また、その制限を見ることすらかなわない。
ここから飛び出すためには、この厚いヴェールを超えた経験を持たなければならない。

私は、生まれたときから、この超越的な経験を覚えていたように思う。
その中で私は、軽く空を飛び越え、その姿は幼子のようであり、
世界は青みを帯びていた。これの記憶は私は離そうとはしなかった。
これをよりどころにしたからこそ、私は既存の意識構造を超えて、
思考することができたと思う。正確には、その超越的記憶の影となる
要素をこの世界に見出し続けてきたのだと思う。
いまだ、そのリアリティをみつけてはいないからだ。
このサイトに書かれているとおり、私は、箱の外にいるように夢想を
しながら、この世界に囚われていることを知覚していた。

しかし、私は次のように感じた。
何かが足りない。何かリアルさを感じない。
このリアルさの欠如と、超越的記憶への羨望は、
この世界の構造を低くみらせることとなった。
あえて、この世界で威厳の無い行動をし、この世界のとるにたらない
価値観を否定することもあった。私にはそれが、とても有意義な行為であった。