その(3)私の現状の的確理解

私の現状を的確にそう的確に理解しようと思う。
以下はサヴァリン・インテグラルの概念にふれた私の理解である。
一つ一つの思考の順を追って、今の理解を、今の自分の現状を、たどっていこう。

探す必要はないのだ。
今までも必要とされることは、必要とした時点で目の前にあった。
これからもそうである。
必要なのは、覚悟と決意である。
覚悟と決意があれば、私は必要とする。そしてそれは目の前にある。

そして、重要なことは、覚悟と決意を持とうと持つまいと、
私は必要としたことは手に入れているということだ。

私は今も過去もそして未来も変らないだろう。
幻想は去った。長い準備が必要であった。
ヴェールの取れた今は何もかもが簡素だ。

今の私には、さらなる覚悟と決意を必要としない。
そしてそれはそれで十分なのだ。手に入れているものは手に入れているのだから。
これが私が得ている、満たされた思い、ワンネスの正体なのである。

この感覚を得る前のことはすでにおぼろげなヴェールの先にある。
得たときには、とても大きな衝撃をおぼえたことを覚えている。
得た今は驚くほど静寂である。
少し前までは、知らないふりをしていたが、この時点で、分かったのである。
探すふりはもうやめにしよう。
あのとき得た衝撃や見た別の次元の光景を、もう一度探すのはやめにしよう。

ただ、今の自らに根付いているこの穏やかな呼吸と自らのワンネスに意識をフォーカスしよう。
それが唯一の私の祝福であるからである。時間なぞ意味がないことを知ったのに、
ヒューマン・マインド・システムの制限下にあったときのように、
不足感という幻想を追い求める必要は無かったのだ。

私は鶏と卵の先取のパラドックスのように、その関係性を誤って取り違えていた。
すでに得ているのに、ことさら(未だ見つけていないものを)
探す必要は無かったのだ。必要な情報は必要なときにそこにあるのである。
あるのである。いまわたしがここにあるように。いまここにあるように。
私がするであろう変化は、たとえるならば、様々にカットされたクリスタル
の見る角度を変えたような違いしかないのである。
クリスタルは普遍なのである。不変なのである。


しかし、一つ疑問は残る。
私は明晰夢中で、おそらく別の次元(それもおそらくHMS内のマインド・アストラル世界であろう)
で、道を探した。私は自分を問うたのだ。自分がいまいるこの次元について尋ねることで。
彼(看守)は、最初、疑問に対して、はぐらかして答え、
そして私の元から去ろうとした。私はなおも追いすがり、彼が去る直前、
ヒント(アルカトラズ)を得た。

そのアルカトラズが、このウイングメーカー中のテキストの”監獄”と一致した。

私は探したのだ。探した。それは確かにHMS中の出来事である。
では、このヒントとは、彼(看守)が示した慈悲であったのだろうか。
HMS中においても、この探すという行為で道が開かれたのである。
これもまた幻想なのだろうか。結局は、自分の静謐、虚無と向き合うこととなったのだから。
しかし、HMS中の多次元世界を初めとして、何かしら世界が変わり始めたのは確かなのだと思う。
このテキストでいう、ポータルが開かれ始めたことを感じる。
2chに幽体離脱の情報が出始めたのも、2ch(ジュネティック・マインドの雛形)が
現れ始めたのも、1998年以降からである。ちなみにこのころ私は、
様々なオカルト情報に触れて、自分の中で内なる声と禅問答を絶え間なく開始した頃だと思う。
HMSの中にほころびができたとも感じるのだ。いまだ仮説の域を出ないが。

ただ、多くの情報の中で、今のようにあることは数々のめぐり合わせとしかいえない。
既に得ていなければ、このような幸運は無かっただろう。
少し、おかしい言い方ではあるが。
このおかしな言い方から、神に対する感謝の念が生じる。
しかし、このおかしな状況を取り去れば、果たして感謝は必要な感情なのであろうか。
静謐と虚無が存在するだけである。
これが今の私の感情である。このおかしな状況がHMSの為せる業であったとするならば、
あのときの不思議な体験も、HMSの見せた幻想であったのだと、今にしては思う。
その幻想を今、また追い求める必要は無いのである。
それが最初に述べた、覚悟と決意である。
いやはや遠回りをしてしまった。理性的に考えるならば、分かるものである。

name
email
url
comment